松本ひとり旅~自由な“点”になって~

いつもは「伝わるPR」のためのあれこれを書いているコラムコーナーですが、今回はちょっと趣向を変えて旅の記録をエッセイにしました。お時間のある時に、お茶タイムのお供に読んでいただけたら幸せです。

母になって初めてのひとり旅

母になって初めてのひとり旅
特急しなのの車窓から撮影した景色。清流も残念な色合い

特急しなのの車窓にボツボツと当たってくる大粒の雨。その奥にある灰色の景色を眺める。神様に応援されて、五月晴れになると思っていたのにな。足元にひとり分の旅行カバン。手に握る特急券は、自分だけの宇宙への切符のよう。

46歳になった。30歳の時に第1子が生まれて以来、初めてのひとり旅。日常は主婦としての役割と、ライターとしての仕事が混じり合い、それらを円滑にまわすために、人と時間の紐が幾重にも私に巻き付いていた。その紐を全部ちょきん、ちょきんと切って、この2日間だけ私は「点」になる。誰も知らない街で、誰でもない存在になる。その浮遊感たるや、何物にも代えられない、そそる香りがした。

人間の奥の奥に何があるのか

松本市美術館外観。草間彌生さんの作品が迎えてくれる

昼過ぎ、長野県松本市に到着。雨の中、宿泊する駅前のホテルに荷物を預かってもらい、適当にお昼を食べて松本市美術館に向かった。書き遅れたが、今回は電車の旅で、松本市内はすべて歩きで回るつもりだった。駅周辺に見どころが多いのも松本を選んだ理由のひとつだ。

美術館へは徒歩で15分ほど。傘をさして歩いても、歩くと靴がぐにゅぐにゅと言う。夜にホテルで靴下を脱いだら、きっと足の裏はへにゃへにゃだろう。旅先でもなければ、外に出ない天気。せっせと歩く自分に笑えてきた。この感触も、きっといい思い出になる。

美術館では、アーティスト・草間彌生さんの作品を観た。ガイドブックに載っていた赤い水玉と、大きなチューリップのインパクトがすごくて、どんな人だろうと思ったのだ。入ってみると「原色、水玉」だけではなく、光と鏡をうまく使った奥行きのある作品が並んでいた。変わっていった作風を眺めながら、草間彌生さんの紹介やご自身の言葉を読んでいくと、私の中がう~んと唸りだした。

素晴らしい作品を生み出し、世界的に有名となった草間さん。でも、作品を生み出す母体となる思考や感情は孤独で、こんなにも苦悩していたんだ…。そこまでもがき苦しみ、深く生きてこそ、人間の奥の奥から、見たことのない表現が生まれてくるのか。まだ出合ったことのない奥行きが自分の中にもあるかもしれないという想いと、何が出てくるのかという、覗き見たさ。けれど私はそこに到達するまでの自分の醜さや孤独に耐えられるだろうか。無理をしすぎずにサラッと心地よく、が身上の自分。それでは浅い? 面白くない? せっかく生まれてきたんだもの、と存分に生きたいと思いながらも、そこに行くのは躊躇される、そんな自分を感じたひと時だった。

そういえば、自由

すこしはぐれてあすは栞日のしおりとカフェオレ
カフェオレがあたたかい。いただいた栞の言葉にも惹かれる
カフェ栞日2階のスペース
2階の雰囲気はこんな感じ。どの席も魅力的

その後は「栞日(しおりび)」というカフェへ。階段を上がって2階へ行くと、たくさんの本に囲まれて、不揃いのテーブルと椅子がそれぞれの方を向いて並んでいる。そのゆるさが心地いい。カフェオレをいただいて本棚を見に行くと、どうやら店主が選んだリトルプレスが多く置かれている様子だ。その中の1冊の近くにあった、作者が寄せた挨拶文に目が留まった。『松本には、自分の生活をとても大切に考えている人たちがたくさんいて、日々の小さなことを、ひとつひとつの選択を、「誰にも手渡さない」という気持ちで生きている人たちに出会いました。』と書いてあり、旅の途中で浮遊している私は、人はどこで生きるかも、そういえば自由なんだったなと思い出した。

この言葉の通りなら、松本って素晴らしいまちじゃないか。私たちは日々に流されて、簡単に自由を忘れる。自由はわりと面倒臭く、誰かが決めてくれる方が(そして時に文句を言いながらも従った方が)楽だったりするからだ。なのに日々のちいさな選択を「誰にも手渡さない」で自分でする、そんな人が松本を選んで暮らしているだなんて。確かに松本には、小さいけれど店主のこだわりがたっぷり詰まっているような店が並んでいる、少し歩いただけでもそんな感じがした。そんな人たちの中で暮らす日々はどんなだろうか。今、私は家族がいて、夫はサラリーマンで子どもは学校に通っている。家という決まった箱の中で毎日が始まるのが普通だけれど、それでもそこから飛び出すことだってできるという自由を、時々思い出そうと思った。

わたしのすきなもの

あがたの森の緑
大きくどっしりとした木々に囲まれたあがたの森。青空と緑が本当に美しかった

雨の上がった翌日は真っ青な空が広がり、5月にしては少し暑いくらいだった。ホテルのモーニングを楽しんだ後は、観光客らしく一応松本城を見て、その後はまた街中を歩き回った。「あがたの森」公園へ。大きな木々が堂々と並ぶ並木道を歩き、木のベンチに座って空を見上げた時、自分が欲しいものが何か分かった。「これだけでいい」、そう感じたからだ。

青い空、深い緑の木々、光で明るく透ける葉っぱと、少しひんやりとした風、鳥のさえずり。あぁ、ここにみんなあるなぁ。首が疲れるまでずっと空を向いて、目を閉じて、また目を開けて、幸せで満たされている。自分の好きなものも、よりクリアに見えてきた。緑が好き。青い空が好き。木漏れ日が好き。鳥の鳴き声が好き。散歩が好き。カフェが好き。ナチュラルが好き。本が好き。こんな時間が好き! 私の幸せを、大切にひとかけらずつ拾い上げて、またはシャッターを切って、毎日を過ごしていこう。あがたの森の木になったぐらい養分をたっぷりもらって、また歩き出した。

出逢えただけで、旅は花マル

chiiannさんのキッシュプレート
ランチのキッシュプレート。ドリンクも付きました
chiiannさんの店内
白と、くすんだ水色がベースのおしゃれな店内

その場所に出逢えただけで、もう今回の旅は花マルだった!そんな風に思える場所がひとつでもあれば幸せ。ランチで訪れたカフェ「chiiann(チーアン)」が、まさにそんな場所だった。観光地のひとつにもなっている「中町通り」の、細い路地を入った先にあった。小ぎれいで可愛らしく、でも品よく落ち着いた店内。ランチにと頼んだキッシュプレートがあまりにも美味しかった。

素材の味がしっかりと伝わってくる。キッシュに入った山芋の口どけの良さがたまらない。添えられた生野菜は、野菜本来の苦みもちゃんと感じる。カリフラワーのスープは、濃厚ながら後味も良く。最後のひと口をフォークにのせて、「あとひと口で終わってしまう」と少し悲しくなってしまうなんて、飽食の時代に久しぶりのことだ。

思わず、店先で入ろうか迷っていた親子に「とっても美味しいですよ」と勧めてしまった。その親子はランチではなくてお茶だったから、気に入ってもらえるかなぜかドキドキし、喜んでもらえてホッとするという、誰の立場なんだかよく分からないひと時を過ごした。ひとりで旅をしていると、やたら人に話しかけたくなるものである。

次はどこへ行こうか

帰りの電車に乗りながら、ただの点だった自分がまた、日常に帰っていくのを感じた。家に着くのは何時頃だよと、家族にLINEを入れる。母親でもなく妻でもなく仕事をする自分でもなく、ただの私になって旅した2日間は、「これ美味しいね」「これ好きでしょ」と言える相手がいない寂しさもあったが、圧倒的に自由だった。1日という器の中には、こんなにも時間があるのだと感じた。やりたいことだけ、自分で選んでやる。それだけだと、2日間でもかなりいろんなことができるという体感。1日がこんなに長いんだから…の続きは、「いかに日々家事育児や仕事に縛られているかを実感」という後ろ向きでなく、「やらなきゃいけない家事育児くらい、十分にできるくらい1日は長いのかもしれない」。そんな不思議に前向きな感覚になった。「やりたくなくてグズグズしている時間が長かっただけかも…」と、最近の自分を振り返る。まぁ子どもがだいぶ大きくなってきた今だから(高校生と中学生)言えることだけれど。子どもが小さい時は、本当に時間がない。これは実感。

ひとり旅は良い。たぶん自分と向き合うことを大切にしたい人にとっては特に。私にとっては芸術とカフェと自然と人を、自分だけの五感で受け取れたことは大きかった。普段の暮らしよりも、解像度を上げてゆっくりと味わうひととき。自分が何を好きか、どうすると幸せなのかがよく見える。関係性の中から外れて、自分の足で自由に歩く。それは人生を豊かにするための必要な時間だった。「次はどこへ行こう…」そう考えることが、日々のモチベーションとして、ひとつ加わった。

~ご参考に~記事にとり上げた場所のリンクを貼っておきます

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